いまいいちろうのパワースポット巡礼(10) 東京都杉並区 観泉寺

いまいです。

知人から、何とも趣のある長い塀と綺麗な紅葉が映える写真が送られて来ました。その文面には東京都杉並区に「井草の京都」と呼ばれている場所があるとのことでした。急ぎ場所を教えていただき、早速行って参りました。12月中旬を超えており、流石に紅葉は散ったかとも思いましたが、行動あるのみです。果たして、今回は寺社で映える紅葉からパワーを得られるのか?

宝珠山観泉寺

東京都杉並区今川の「宝珠山観泉寺」です。お、今川!実は戦国時代の今川義元の子孫がその菩提寺としたお寺なんです。もともとは「観音寺」として、1597年に鉄叟雄鷟(てつそうゆうさく)により現在の下井草二丁目付近に創建されました。着いて最初に思ったのは「やった!まだまだ紅葉残ってるやん!」でした。良かった〜。

江戸時代に幕府3代目将軍・徳川家光に仕えていた今川家13代当主、今川直房(いまがわなおふさ:今川氏真の孫)が井草周辺の土地を拝領し、領内にあったこのお寺を「観泉寺」と改称して以降今川家の菩提寺となりました。ですから、この観泉寺のある場所の地名は今川なんです。

東京都杉並区今川二丁目16です。

御由緒

当寺は、宝珠山観泉寺といい、本尊は釈迦如来で、戦国時代の名門今川氏ゆかりの寺として広く知られています。寺伝によれば、慶長二年(一五九七)、今の下井草二丁目付近に鉄叟雄鷟(てつそうゆうさく)大和尚により開祖され、観音寺と称しました。
正保二年(一六四五)、今川十三代直房は、将軍家光の命をうけて京に上り、東照大権現宣下の使者を勤めました。その功により井草村など三ヶ村五百石の加増を受けました。それを機に当時を菩提寺とし、現在地に移して寺名を観泉寺と改めました。信仰厚く伽藍建立に寄与した姉(観泉寺殿簾室慶公大姉)を中興とし、万昌院(現中野区)から祖父氏真(うじざね)の墓所を当寺に改葬、勧講開基しました。
ここに眠る開基の今川氏真は、今川氏が敗れた永禄三年(一五六〇)五月十九日の「桶狭間の戦」で父義元を失い、家督を継ぎますが、領国であった駿河は北条氏・武田氏が、遠江は松平元康(徳川家康)が支配することになりました。今川氏没落後の氏真は、北条氏や松平氏の下に身を寄せ、文化人として多くの和歌を詠んでいます。徳川幕府が成立したのち、今川氏は幕府高家として召し抱えられ存続しました。
境内墓所にある、氏真を含む今川氏累代の墓は都の旧跡に指定されています。
平成二十九年三月      杉並区教育委員会

今川家は足利一門の名門

今川家は足利一門でも名門とされており、足利将軍家から御一家(足利将軍家親族)とされた吉良家の分家になります。

「御所(足利将軍家)が絶えなば吉良が継ぎ、吉良が絶えなば今川が継ぐ」

と言われていたように、足利将軍家(室町幕府)の血脈が途絶えた場合には、吉良家は征夷大将軍職の継承権が発生するという足利一門でも特別な家柄でありました。ですから、吉良家は斯波家や畠山家といった他の足利一門とは別格だったのです。今川家はその吉良家の分家として、駿河の守護職に代々任命されました。

境内には池泉式庭園があります。

駿河・遠江の守護として戦国大名へ

室町幕府初代将軍、足利尊氏(あしかがたかうじ)の近くに仕えていた今川範国(いまがわのりくに)は駿河・遠江の守護に任じられました。 観応の擾乱(1350年〜1352年)の時に範国の嫡男、今川範氏(いまがわのりうじ)は尊氏方に属して戦功を立てたことにより、駿河守護職を継承します。これより範氏の系統が今川氏嫡流として駿河守護職を世襲することになります。また、遠江も同じ流れとなります。

鐘楼です。⬇️

本堂です。⬇️ 境内はとても美しく整理されており、清々しい気分になりました。

桶狭間の戦いで今川義元討死

代々駿河・遠江を領有することになった今川家は戦国大名として成長しますが、1560年に今川義元(いまがわよしもと)が「桶狭間の戦い」で織田信長に討たれると急速に衰退し、1568年には義元の嫡男、今川氏真(いまがわうじざね)は甲斐の武田信玄の侵攻により駿河国から追いやられることになります。一旦、掛川城に入りますが、今度は徳川家康に攻められ、結局城を出て妻、早川殿の実家である小田原の北条氏の元へ向かうことになります。

竹林がありました。⬇️ 静かで本当にきれいなお寺です。

徳川家康の庇護、旗本へ

その後、今川氏真は紆余曲折を経て徳川家康の庇護を受けるようになり、今川氏真の孫である今川直房(いまがわなおふさ)は江戸幕府に出仕して高家(こうけ)旗本として使えるようになります。そして、第三代将軍の徳川家光から、東京都杉並区井草付近の土地一帯を拝領しました。子孫は代々この土地を領有して、明治に至ります。

高家とは

高家(こうけ)は江戸幕府で、儀式や典礼を司る役職のことを言います。また、この役職に就くことのできる家格の旗本のことを言います。要するに、家柄が高くて良いということですね。

今川氏累代の墓

こちらが今川氏累代の墓⬇️

今回は、東京都杉並区今川の「宝珠山観泉寺」をご紹介しました。まだ、紅葉が残っていて良かったです。駿河・遠江を領有し、『海道一の弓取り』とまで呼ばれた大名今川家ですが、子孫達はこの今川で高家旗本として明治まで続きました。いまいとしては、家名と格式、優雅な高家旗本も素敵じゃん!と思うのですが、皆様はいかに?

いまい流運気UP率:紅葉ラッキー拾った。ぐいと上昇!

現場からは以上です。最後に、ご紹介くださった方からの写真はこちら⬇️趣があって、良き!

 

いまいでした。