院政時代には、寺院も僧兵で武装した?

いまいです

いまいbiogも日本史の読み物、小ネタになっていますが、意外と評判が良い?ので好きなように書いちゃいます。今回は、平安時代に武装した僧侶が、けっこう無茶してた話です。あくまで、日本史の小ネタ話で、宗教的な良し悪しのお話ではございませんので悪しからず。専門的な話や難しい話は抜きにして楽しみます。ちょっと、お付き合いください。

僧兵とは

寺院にいる、長刀や刀、弓矢等の武器を取って戦う僧侶のことです。武器で戦うので、悪僧などと呼ばれていました。源義経の家来であった、武蔵坊弁慶なんかもそうです。平安時代中期から後期には、源氏や平氏などの武士団が発展したのはご存知だと思いますが、同時に僧兵の活動も大きくなるのです。

大寺院の増加

八世紀以降、大寺院が次々と建てられます。大寺院が沢山できると、僧侶が多く必要になってきます。数が多くなって、その統制は緩んでしまい、僧侶の質の低下が始まります。

大寺院の増加 → 僧侶の量産 → 僧侶の質の低下

皇族貴族が寺院へ

十一世紀になると、皇族や貴族の子弟(後継ぎになれないような人々)が出家して寺院に入るようになります。皇族や貴族という、元々高い地位の人ボンボンが仕方なくというわけで寺院に入ってくるわけです。みっちり修行も積まず、研究をしたわけでも無い方々が、寺院の中の高い地位にいきなり昇るのです。一般の僧侶は、不満でやってられないですよね。皇族や貴族により寺院の地位は上がりますが、修行の質はどんどん低下したという事です。

皇族貴族の子弟→高い地位→僧侶の質の低下

寺院の荘園領主化

平安時代には、有力な大貴族が増えた事も要因に挙げられます。律令体制の乱れにより、大貴族達や大寺院による私有地である『荘園』を増加させる事になりました。もちろん大寺院も荘園を持つようになります。大貴族と大寺院による荘園社会となったのです。荘園の守備も必要です。そして、国家の土地が租税免除の荘園となる事により、律令体制の崩壊が始まりました。

寺院の荘園領主化→寺院の権力化→僧兵の増加

院政が始まる頃

大寺院は修行をする場所というより、僧侶をたくさん抱える権力組織というものに変化していったのです。権力を持つと、それを守る武力が必要になってきます。その武力が、僧兵ということです。大寺院は数千の僧兵を抱えていて、何度となく合戦を繰り返していたとのことです。

有名な僧兵

  • 延暦寺の山法師 (えんりゃくじのやまほうし)
  • 興福寺の奈良法師 (こうふくじのならほうし)
  • 園城寺の寺法師 (おんじょうじのてらほうし)

僧兵達は、神輿や神木をかついで、大挙京都に押しかけては朝廷に直接談判する『強訴(ごうそ)』をするようになりました。この強訴は、十一世紀の院政時代から十四世紀の南北朝時代までに、二百回近く行われました。僧兵達は、次から次へと無理難題を持ちかけるようになりました。武士で鎮圧する事もありましたが、当時は、神仏に対する畏怖の念が強かったため、祟りを恐れて院政の上皇や朝廷は要求を聞いてしまうことが多かったのです。やっぱり、御神木や、神輿を持ち出されると弱かったんですね。僧兵は、どんどん増長するようになりました。

 

絶対的権力者だった白河上皇が、自分の言うことが叶わぬものとしてSNSに投降した模様です。

口コミ

京都府:白河さん(男性・上皇)

いや、マジで 言うこと聞かねえ。こいつら⬇️

『加茂川の水(洪水)、双六の賽(サイコロ)、山法師(僧兵)』

と言ったことは有名です。本当に言う事聞いてくれなかったんですね!仮想現実でお願いしますw

また、興福寺の要求が通ってしまうことを、

『山科(興福寺)道理』(やましなどうり)

と称していました。もうやる事なす事、俺がルール!ですわ。職場にもいそうな上司、大丈夫ですか?www

荘園の発生と律令制の崩壊 (追加)

  • 土地不足
    律令国家とは、律令に基づく制度のことで、奈良時代に始まる中央集権型の政治体系です。
    土地は国のもので、農民は借りた土地を耕作して税を納めていました。人口が増加したことにより、国が貸す土地が無くなります。税収は減った上に税の負担も重くなり、農民たちの暮らしも苦しくなるばかりでした。(農民たちの労働意欲低下、浮浪・逃亡の増加。)⬇️
  • 特別法の制定
    723年に「三世一身法(さんぜいっしんのほう)が制定されました。孫までの3代の間は土地の私有化を許可するという内容です。そして、743年に「墾田永年私財法(こんでんえいねんしざいほう)が制定されます。新たに開墾した土地は永久に農民たちのものとしたのです。開墾すればするほど、土地は自分のものとなるので、次々と土地が開墾されていったのです。(農民たちの労働意欲上昇?しかし、、、)⬇️
  • 荘園の発生
    開墾しただけの土地が自分のものになるというのは、公平に感じられますが、そうではなかったのです。実は明らかに富裕層にとって有利なものでした。例えば「水」で、田畑には用水路が必要なのです。用水路を作るためには多額のお金や多くの労働力が必要です。結局、富裕層である貴族や寺社が、次々に土地を開墾し私有化することになるのです。(富裕層でなければ維持できない)
    そして、その土地が後に様々な免税特権を付与されて「荘園」と呼ばれるようになるのです。大きな私有地が増えることにより、公地公民制(土地と人民は国家のもの)は次第に崩れ、律令制は崩壊していきます。

今回は、平安時代中期に力をつけた武士団と並行して、大寺院の僧侶が武装して合戦や強訴に明け暮れた歴史の小ネタをご紹介しました。荘園という大規模な私有財産を得た貴族や大寺院、そしてそれらを守備するために雇われた武士。これから力に勝る武士達が力をつけていく時代が始まります。

いまいでした。

 

 

注意:写真はあくまでイメージで、本記事内容とは関係ありません。