いまいいちろうのパワースポット巡礼(4) 文京区 湯島聖堂

いまいです。

2020年10月、随分と涼しくなり秋らしくなって来ました。しかしながら世界はいまだにコロナ禍の中にあります。この10月からはGO TOトラベルキャンペーンに東京も含まれ、共通地域クーポン券なるものもスタートです。パワースポットでコロナ禍を吹っ飛ばしましょう。

いまいいちろうのパワースポット巡礼、今回は、文京区湯島聖堂をご紹介します。JR御茶ノ水駅の聖橋口を出て、聖橋を渡った右手にあります。ここは古い築地塀の中に緑の森が広がる一角です。

 

湯島聖堂は、孔子廟(こうしびょう)です。

孔子を祀った廟のこと。孔子とは、中国の春秋時代の思想家(紀元前551年~前479年ごろ)です。元々役人であったが、50代で政争に敗れて失脚し、その後十数年に渡り弟子と共に諸国を遍歴して諸侯に徳の道を説いて回りました。晩年は弟子の教育に専念しました。

孔子像

孔子が説いた教えが儒教です。

儒教には「五常」と「五倫」というものがあります。人は「仁、義、礼、智、信」の五常の徳目を守ることで、「父子、君臣、夫婦、長幼、朋友」の五倫の関係を良くするようにしなければならないということです。

  • 「仁」とは人を愛し思いやる人間愛のことです。
  • 「義」とは利益や欲にとらわれずに世のために行動することです。
  • 「礼」とは謙遜と敬意、人と関わる上で守るべきことです。
  • 「智」とは広い知識を得て道理をわきまえることです。
  • 「信」とは人を欺かずに誠実でいることです。

上記の五常を守ることで、父子、君臣、夫婦、長幼、朋友などの人間関係が円滑になるという考え方です。『論語』は孔子の亡くなった後に、その言行を弟子達がまとめた書物です。

有名な文を書き下し文をいくつか。

子曰く、学びて時に之(これ)を習ふ。亦(また)悦(よろこ)ばしからずや。朋(とも)あり、遠方より来たる。亦楽しからずや。人知らずして慍(うら)みず、亦君子ならずや。

意味:孔子は言った。学んで後になって復習する。なんて喜ばしいことだろう。遠くから友達が訪ねて来たらなんて嬉しいことだろう。自分を分かってもらえなくても、恨みに思うことなどないのが君子というものだ。

子曰く、巧言令色(こうげんれいしょく)少なし仁。

意味:孔子は言った。口が上手で、人によって顔つきを変える人に仁、人間愛は滅多にない。

子曰く、君子は義に喩(さと)り、小人は利に喩る。

意味:孔子は言った。良くできた人物は世のために何をなすべきかを考え、つまらぬ人物は何をすれば得かを考える。

子曰く、これを知る者はこれを好む者に如(し)かず。これを好む者はこれを楽しむ者に如かず。

意味:孔子は言った、ある事に知識のある人であっても、その事を好む人には及ばない。また、その事を好む人であっても、その事を楽しむ人には及ばない。

子曰く、君子は人の美を成し、人の悪を成さず、小人は是(これ)に反す。

意味:孔子は言った。君子は他人の良いところを見つけて、欠点や失敗を抑えようとするが、つまらない人間はその逆をする。

湯島聖堂は”学校教育発祥の地”とされています。

湯島聖堂は儒学の祖である孔子を祀った廟ですので、江戸時代には儒学を学ぶ場所でありました。そのために現代でも、学業成就を願う人々が多数訪れる場所です。神社ではなく、史跡です。絵馬が奉納されていたりします。御朱印もいただけます。神社みたいです。

流石!学業成就。合格の文字がたくさん並びます。

住所:東京都文京区湯島1-4-25

昌平坂学問所

徳川五代将軍綱吉は儒学の振興を図るため、元禄3年(1690)湯島の地に聖堂を創建して上野忍岡の林家私邸にあった廟殿と林家の家塾をここに移しました。これが現在の湯島聖堂の始まりです。その後、およそ100年を経た寛政9年(1797)幕府直轄学校として、世に名高い「昌平坂学問所(通称『昌平校』)」を開設しました。明治維新を迎えると聖堂・学問所は新政府の所管するところとなり、当初、学問所は大学校・大学と改称されながら存置されましたが、明治4年(1871)これを廃して文部省が置かれることとなり、林羅山以来240年、学問所となってからは75年の儒学の講筵は、ここにその歴史を閉じた次第です。史跡 湯島聖堂 公益財団法人斯文会HPより引用

聖橋(ひじりばし)

 

東京都千代田区と文京区の間、神田川をまたぐ橋。全長79.3メートル、神田川上部の高さが36.3メートルです。鉄筋コンクリート造のアーチ橋として昭和2(1927)年に完成しました。名称は、東京府東京市(現在の東京都)が公募して決定したとのこと。神田川の両岸にある二つの聖堂、湯島聖堂とニコライ堂を結ぶということから聖橋となりました。

ニコライ堂

ニコライ堂とは、この堂を建てたニコライ大主教の名前からとった呼称で、正しくは「日本ハリストス聖教東京復活大聖堂」といいます。名前の由来ともなっている、ニコライ・カサートキンは1891年に来日し、ニコライ堂を始め聖堂を日本各地に建て、教えを広げました。明治のお雇い外国人として有名なイギリス人のジョサイア・コンドルが工事監督にあたりました。ニコライ堂は、関東大震災で大きな被害を受けましたが、修復されて昭和37年には国の重要文化財に指定されています。

住所:東京都千代田区神田駿河台4-1

いまいいちろうのパワースポット巡礼(4)は、湯島聖堂から聖橋、ニコライ堂への巡礼でした。

いまい