いまいいちろうのパワースポット巡礼(8) 東京都文京区 六義園

いまいです。

12月に入り、今年もあと一ヶ月を切りました。今回は、東京都文京区にある六義園で、紅葉に色付く樹々から清々しいパワーをいただきに参りたいと思います。前回の阿佐ヶ谷神明宮に続いて文京区の六義園の紅葉をお楽しみください。

生憎の雨模様でしたが、人が少なくて良かったです。

六義園とは

六義園は造園当時から小石川後楽園とともに江戸の二大庭園に数えられておりました。元禄8年(1695年)、五代将軍・徳川綱吉より下屋敷として与えられた駒込の地に、柳澤吉保自ら設計、指揮し、平坦な武蔵野の一隅に池を掘り、山を築き、7年の歳月をかけて「回遊式築山泉水庭園」を造り上げました。六義園は吉保の文学的造詣の深さを反映した繊細で温和な日本庭園です。庭園の名称は、中国の古い漢詩集である「毛詩」の「詩の六義」、すなわち風・賦・比・興・雅・頌という分類法を、紀貫之が転用した和歌の「六体」に由来します。

庭園は中の島を有する大泉水を樹林が取り囲み、紀州(現在の和歌山県)和歌の浦の景勝や和歌に詠まれた名勝の景観が八十八境として映し出されています。
明治時代に入り、岩崎弥太郎氏(三菱創設者)の所有となった当園は、昭和13年に東京市に寄付されて一般公開されることになりました。昭和28年3月31日に国の特別名勝に指定されました。

公益財団法人東京都公園協会 六義園  公園へ行こう HPより

2020年11月11日から12月13日までの入園は事前予約制です。

回遊式築山泉水庭園です。

けっこう色付いてました。

動画はこちら↓

柳沢吉保その出世街道

1658年12月18日、柳沢吉保は上野館林藩士、柳沢安忠の長男として江戸市ヶ谷に生まれる。
1675年に家督を相続し、保明(やすあき)と改名する。館林藩主の徳川綱吉の家臣、家禄530石小姓組番衆となります。(小姓は、殿様の身の回りの世話をする若者です。吉保は殿のお気に入りだっていうから、出世には一番近いぞっ。)
1680年、館林藩主の徳川綱吉が、将軍後継者になります。
(家禄も千石、二千石とどんどん増えていきます。さあ、さあ、波がきました。出世街道の始まりですよ〜!)
そして同年、四代将軍徳川家綱の死により、徳川綱吉は第五代の征夷大将軍になります
(まさかのBig Wave 来たぁ〜!将軍一番のお気に入り、こりゃきたなもう。)
1681年、吉保は綱吉の学問上の弟子となる。
(学問好きの将軍に弟子入りしちゃいました。出世する男は違いますね。完全に波乗り成功!!)
1688年、将軍親政のために新設された側用人に就任する。禄高も1万2000石とされて大名になる。
(はい、既にインフルエンサー笑)
ちなみに、将軍綱吉はなんと、58回も柳沢吉保邸へ行っています。行き過ぎ!!!

茶店で休憩です

抹茶セット750円

和菓子は一個450円

大名気分で一服

老中、大老格へ

1694年老中格と侍従に就任。家禄も更に増え続けます。
(おおお、老中!政治権力握ったな。)
1695年に駒込染井村の前田綱紀旧邸を拝領し、後にこれが六義園となる。
1698年には大老が任ぜられる左近衛権少将に転任する。
(大老格!ついに昇り詰めました。)

将軍綱吉から松平姓および「吉」の偏諱を与えられ、松平吉保(まつだいらよしやす)と名乗る。(うわあ、松平ってことは親族扱いですねー。)1704年徳川綱吉の後継者に徳川綱豊が決まると、綱豊の後見として15万1200石となる。吉保が拝領した15万石余は表面上のものであり、実際の石高は22万石余だったといいます。

綱吉の死後

1709年、将軍綱吉が亡くなり、幕府内の政治状況は一変します。代わって新将軍徳川家宣新井白石が政治権力を握るようになます。柳沢吉保の勢いは失われていった為、隠居しました。そして綱吉がたびたび訪れた六義園の造営などをして、1714年に57歳で死去しました。

側用人(そばようにん)

江戸幕府において、将軍近侍の役職。将軍の言葉を老中、若年寄、三奉行などに伝える。五代将軍徳川綱吉の時代に制度が確立した。当初は家柄によらず才能によって登用された。次第に幕府の主導権を握る役職となっていった。柳沢吉保、田沼意次などが有名。しかし、将軍の恩寵を背景に権勢を振るいがちだった。八代将軍徳川吉宗の享保の改革で側用人制度は廃止された。

徳川綱吉(とくがわつなよし)

1646-1709 江戸幕府5代将軍。在職1680-1709。
徳川家光の4男。母は桂昌院(けいしょういん)。上野(こうずけ)館林(たてばやし)藩主から将軍職を継ぐ。最初は堀田正俊(まさとし)を大老とし不良の大名や不正代官を処分するなど文治政治を推進した。しかし,その後は側用人の柳沢吉保(よしやす)を重用する。護持院、護国寺などを建立し、幕府の財政を悪化させた。儒学に異常に傾倒し、生類憐みの令(しょうるいあわれみのれい)により犬公方(いぬくぼう)と呼ばれ、政治の混乱を招いた。貨幣改鋳により質の悪い貨幣が出回ってインフレを起こした反面、華やかな元禄文化が花開いた。【家宣への遺言】生類憐みの令と愛犬令とが民のわずらいになっていることはよく知っているが、せめて私の死後三年は続けるように。

コロナで夜間ライトアップは現在中止です。

本当はこれが見たかった。コロナ禍で残念ながら夜間ライトアップは中止です。残念!なんといっても紅葉が凄い!!

出典:ウィキメディア・コモンズ (Wikimedia Commons)

今回は文京区駒込の六義園の紅葉をご紹介しました。入園に予約が必要なのと、夜間ライトアップが中止なのは残念至極ですが、とても綺麗な紅葉を見ることができて幸せでした。

いまい流運気UP率:大名級!!ドーン。

いまいでした。

詳細については上記、引用欄掲載の関連HPをご覧ください。