藤原秀郷(俵藤太)というDangerな男

いまいです。
今回は神田明神の祭神、平将門を討った男を紹介いたします。まずは平将門の乱から。このWebサイト、いまいいちろうのパワースポット(5)でも紹介しています。承平天慶の乱とも言われる。

平将門の乱

天慶二年(939年)平将門は常陸(茨城)・下野(群馬)・上野(栃木)の国府を占領、一時関東全域をその支配下におきます。自らは『新皇』を称し、関東地方の国司(国の長官)を自らの勢力の者に任命し朝廷から独立しようとしました。これを平将門の乱と言います。同じ頃、瀬戸内海では藤原純友が反乱を起こして暴れ回っていたため、朝廷は東西の反乱に恐れおののいていました。

動画はこちらから⬇️

NHK for School 平将門の乱

 

藤原秀郷

その将門を討ったのは、下野国(栃木県)の藤原秀郷(ふじわらひでさと)です。この藤原秀郷は、当初、平将門と行動をともにしようと考えて、将門を訪ねていたと言う話もあります。実際には、将門の仲間のような感じでしたが、連戦連勝で飛ぶ鳥を落とす勢いの将門に、会見して軽く見られたことで腹を立てて見限りました。

今時なら、SNSにこんな投稿あるかもです!

口コミ

栃木県:藤原秀郷(年齢不詳・男性・武士)
「あー、ほんまなめとんな、ムカつくわ!」(ん、関西弁?)

賊を討ったのも賊

藤原秀郷は、延喜十六年(916年)に罪を犯して流罪(賊)になっていたということです。下野国(栃木県)の同じ一族、同姓の者18人も一緒に罰せられています。秀郷も大きな一族の長で、罪状は国司への反抗であったらしいです。当時は、朝廷より派遣された国司(地方官吏)と地元豪族の利権争いが数多く起きていました。延長七年(929年)にも、何か悪事を働いています。まさに無頼の徒。かなりの暴れん坊だったみたいです。しかし、下野の国司は、手に負えない危険人物、Danger秀郷を押領使(おうりょうし:地方の強盗、暴徒の鎮圧に当たる警察のような役職)に任命しました。前科者(賊)を警察に任命したということになりますね。毒をもって毒を制すと言うことですね。あ、また投稿が!!

口コミ

栃木県:藤原秀郷(年齢不詳・男性・武士)
「いてこましたるわ、やったるでえー!」(なんで関西弁?www)

別名:俵藤太(田原藤太)「たわらのとうた」
藤太は藤原氏の長男、太郎の意味です。秀郷は平氏の武士で甥の平貞盛(たいらのさだもり:将門の従兄弟、貞盛の子孫には平清盛(たいらのきよもり)がいる)と協力して将門を攻めました。将門の軍が諸国に分散している隙をついて本拠地の下総国幸島に攻め入って滅ぼしたとされています。平将門は流れ矢に額を撃ち抜かれてあえなく討ち死に。この時、朝廷の官軍はまだ関東に到着していなかったというから秀郷たちは大手柄です秀郷はこの功績によって下野守となり、後には鎮守府将軍ともなりました。結局、賊を討ったのも賊という事になりました秀郷は犯罪者からの大出世です。うおおおお、またまた投稿がっ!

口コミ

栃木県:藤原秀郷(年齢不詳・男性・武士)
「なめたらあかんで、どんなもんじゃい!」(だから、なんで関西弁やねん?!www)

 

俵藤太には他にも、Strong & Danger 伝説があります。

百足(むかで)退治伝説

近江国(滋賀)の琵琶湖の瀬田の唐橋(せたのからはし)に大蛇が横たわり、人々は怖れて橋を渡れなくなってしまいましたが、そこを通りかかった俵藤太は臆することなく大蛇を踏んで渡ってしまいました。その事に感心した大蛇は人に姿を変え、「一族が三上山の百足に苦しめられている」と訴え、百足退治を懇願したのです。しかしながら、そこにいたのは、山を七巻きもするほどのとんでもない大百足(おおむかで:こいつもDanger!)でした。藤太は自慢の強弓で射掛けました!一の矢、二の矢は跳ね返されてしまい全く通用しない。はてさて、どうしたものか?
そこで、「百足は唾に弱い」(本当か?笑)と言うことを思い出しました。三本目の矢に唾をつけて射ると、見事百足の眉間を射抜き倒したといいます。「どんなもんじゃい!」(もう、ええわ。。。)

お礼として、米の尽きることのない俵(そんなアホな。謎?)や使っても尽きることのない巻絹(そんなアホな。謎?)などの宝物を贈られたと言う事です。

百目鬼(どうめき)退治伝説

俵藤太は「百目鬼」という鬼の退治を依頼されました。両手に百の目を持った、3mの大きな鬼だったという事です。(またまたDanger!)しかし、もはやSuper Dangerの俵藤太に急所をつかれ、姿を消しました。軽く退治しちゃいました!流石ですね。
それから約400年後、塙田村の本願寺に徳の高い僧侶がいました。そこに毎日必ず姿をみせる、若く美しい娘がいました。実はこの娘、俵藤太に退治されたあの百目鬼だったのです!百目鬼は娘の姿に身を変えて傷が癒えるのを待ちながらも、悪さをしていました。しかし、僧侶の説法に心を改め、二度と悪さをしないと誓い、爪とツノを置いて消え去ったとのことです。

今回は、平将門を討った男、藤原秀郷(俵藤太)とそのDanger伝説をご紹介しました。
将門も、俵藤太を侮らなければ。。。人を大切に、いつも謙虚な気持ちが必要ですね!それにしても、とんでもない怪獣だか妖怪だかがいたもんですね。まあ、人の形をしていても、妖怪みたいな嫌な性格や悪行の人はいっぱいいますけどねー。

いまいでした。